徳永の「日本あれやこれや」

     その二 消えた言葉「恥」

最近では世界的大企業のトヨタを初め三菱UFG、野村証券が不正で当局から処罰を受けた。謝罪会見はトップが「申しわけございません、ご迷惑をおかけしました」と詫びる。誰一人「経営者として誠にお恥ずかしい」の詫びをしない。この認識では絶対に改善しない。トップが恥じる心を持たぬからである。恥の自覚の無い謝罪は自ら反省し精進することにつながらない。

そもそも「恥じる」は日本人の伝統的な美が徳で日本人の道徳性を支えていた。それが滅した。トインビ―博士の言葉、民族が滅亡する条件第三「物事を数量で見るようになった時」だ。戦前の日本人は精神的徳目として殆どの人に大なり小なり内臓されていた。家庭、学校でいつの間にか教えられ身についたもので日本人の道徳の光源である。我々の内奥にはこのサムライ精神の片鱗が残存している。武士道精神の凄さ、素晴らしさの故に明治維新以来、日本があっと言う間に欧米に伍することを得たと確信する。それを知悉しているアメリカ占領軍が日本を二度と立ち上がらせないために武士道を「反動的で権力者のための御用道徳」と難癖をつけて禁止したのである。その占領政策が完全に奏功して日本は現状のような亡国的様相を呈している。武士道の本質は「精神的貴族」である。徳永流に先ず浮かぶ言葉は「恥を知る」、「武士の情け」「渇しても盗泉の水を飲まず」「名を惜しむ」「卑怯であってはならぬ」「潔くあれ」「ウソをつくな」「弱い者をいじめるな」等を思い出して行くと、現代政治家やら国家中枢官僚に最も欠けているものばかり。元々は師表に立つ人の徳目である。